最新ニュース
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ご来館の皆様の中から、ご了解を頂いた方を順次掲載しています。
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7月30日(金)東京・東郷神社の宮司さんご一行
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日露戦争の帰趨を決める日本海戦で、日本海軍の聯合艦隊司令長官として国難を救った東郷平八郎
元帥を祀る東郷神社(東京都渋谷区)の宮司さんご一行(代表:嶋田耕一宮司様)が、東郷元帥のもとで
参謀をつとめ厚い信頼を得ていた秋山眞之の生家を訪ねていただき、熱心に見学していただきました。
武道場では、歓迎の挨拶をした宇都宮良治常務理事が「東郷元帥を秋山眞之は常に尊敬していた逸話や、
祖父が、東郷さんの立派な人格に感動していた話」を披露。
この日に先立ち、東郷神社御一行の別の班(代表・松橋名誉宮司様)が7月28日(水)にもご来館いただき、
多数のご来場に感謝するとともに、改めて東郷元帥と秋山眞之との深いご縁を思いました。
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△東郷神社宮司・嶋田耕一様(前列中央)御一行が、
秋山眞之胸像の前で記念撮影 |
△秋山好古騎馬像前でもパチリ(この中の一人の方に、
好古好物のイチジクの実が庭で熟していたのを1つ差し上げましたが、味はどうだったでしょうか) |
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| 所在地 |
東京都渋谷区神宮前一丁目5番3号 |
| 主祭神 |
東郷平八郎命 |
| 社格等 |
府社・別表神社 |
| 創建 |
昭和15年(1940年) |
| 例祭 |
5月28日 |
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| 東郷神社拝殿 |
△東郷神社(ホームページより転載) |
7月25日(日) 好古と習志野市、新潟市との繋がり
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習志野市に好古の肖像画を掲載
好古が騎兵第一旅団長で過ごした千葉県習志野市は、好古を大きく取り上げていただいています。
昨年5月、好古の顔写真を刻んだ石碑が中心街に建立されましたが、今度は大きな肖像画が完成し、
習志野市学園大久保商店街展示室内に飾られました(写真)。
同商店街理事長・三橋様からご連絡をいただきましたのでご紹介しました。
好古の騎兵旅団長就任期間:1903年(明治36年)4月2日から1906年(明治39年)2月6日まで。
好古は、習志野から騎兵を率いて日露戦争に出征し凱旋。この後、騎兵監に就任。陸軍少将。
ご参照:秋山兄弟生誕地ホームページ:最新ニュース平成21年5月17日の記事
新潟市では好古揮毫の石碑についての講演会と慰霊祭を開催
9月5日(日)歴史講演会「好古揮毫記念碑・忠魂碑にまつわる秘話」
講師:横越コミュニティ協議会会長・神田勝氏
場所:新潟市 北方文化博物館
9月6日(月)日枝神社内の忠魂碑前で、日露戦争で戦死した方の慰霊祭が行なわれます。
例年、丁重な慰霊祭を挙行する新潟の人たちの人情の深さに感動します。
(日枝神社:新潟市沢梅15-30)
好古の第13師団長(新潟県高田)就任期間:1913年(大正2年1月15日から
1915年(大正4年)2月15日まで。この後、近衛師団長に就任。陸軍中将。
ご参照:秋山兄弟生誕地ホームページ:最新ニュース平成22年5月4日の記事
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| (秋山兄弟生誕地研究員、秋山好古石碑専門調査員:仙波満夫) |
7月24日(土)横須賀市観光課(みかさルネッサンス担当)のお二人
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「Z旗のTシャツを着た方がみえましたよ。」と嬉しそうに研究員の森松さん。
名刺には「横須賀市商業観光課(みかさルネッサンス担当)」とあるのでさっそく
御礼のご挨拶をしました。
本年3月、横須賀市にある「三笠」の研修に生誕地研究員一行が訪れた際、
吉田雄人・横須賀市長さんのご挨拶をいただいたり、バスで送迎していただくなど
大歓迎を受けたからです。松山市とは観光交流都市の絆を結ぶご縁もあります。
今日は、松山の一番暑い日でしたが、熱心に説明を聞いていただきました。
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△秋山眞之胸像の前で横須賀市商業観光課主任
「みかさルネッサンス担当」・鈴木亨さん(左)と
同課・山本彩子さん |
△兄・好古騎馬像の前でも記念撮影(暑い~!) |
生誕地内で小鳥の親が子に餌を!
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生誕地内武道場の入り口前の通路で、親鳥が子供に餌を!その瞬間をパチリ。
写真左に、雨対策で入れた砂利の残りが見えています。
松山市内の中心部にある秋山兄弟生誕地。しかも、入場者の多い日曜日に、
親が子供に餌をやっている姿に感動しました。
人間も、小鳥も、一生懸命に子を育てる愛情に変わりはないのですね。
以前、生誕地の庭で、小鳥の巣が発見されましたが、この親子はその巣と
関係があるのでしょうか。あって欲しいですね。
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撮影:7月11日(日)午後4時16分
撮影者:秋山兄弟生誕地研究員(秋山好古石碑専門調査員)・仙波満夫 |
7月10日(土)大阪市・秋山眞之さんがお父様の遺影と共に!
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大阪市の秋山眞之さんは、お父様が秋山眞之の大ファンで、眞之と命名されました。そのため、
ご本人も秋山眞之のファンとなり、2007年4月30日に来館されています。
しかし残念なことに、お父様がお亡くなりになりましたが、お父様を偲び、お母様や
弟様とご一緒にお父様の遺影をもって再び来館されました。
これを聞いた研究員(ガイド)は感動し、生誕地内の眞之の新しい資料のご説明や記念撮影に
努めました。
(注)最新ニュース2007年4月30日 に秋山眞之さんが初めて来訪されたときの写真や芳名録の
署名が写っております。
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| 2007年4月30日に来館された時の写真 |
7月6日(火)眞之が亡くなった場所・小田原市から関口茂雄さん。
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秋山眞之は大正7年2月、小田原市の山下亀三郎(元山下汽船社長=愛媛県出身=)の
別邸で49歳11ヶ月の若さで亡くなりました。
関口さんは、山下邸跡の分譲地に住んでいるので、かねてから、眞之と亀三郎に関心を寄せ
「眞之終焉(しゅうえん)の地・小田原」と称して町おこしに同志と奔走しておられます。
「松山に来たのは初めてだが、秋山兄弟と正岡子規や久松定謨(さだこと)の資料を見たり、
関係する箇所をたずねて松山の雰囲気を味わい、活動の新しい原動力にしたい」と語られました。
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| △眞之像の前で小田原市・関口茂雄さん |
△関口さん(右から2人目)と生誕地の研究員 |
7月4日(日)陸上自衛隊のご家族ご一行
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兵庫県川西市の陸上自衛隊ご家族ご一行20名様がお見えになりました。
その中の三宅様は、「大先輩の秋山好古大将像の前で写真が撮れ、
光栄で身が引き締まる思いです」と語られました。
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