最新ニュース

ご来館の皆様の中から、ご了解を頂いた方を順次掲載しています。

5月27日(木)日本海海戦大勝利の記念日にZ旗を掲揚

 今から105年前の今日、日本海軍は日本海にロシア・バルチック艦隊を迎え撃ち、これを撃滅。
帝政ロシアの東洋侵略の野望を打ち砕きました。

 この日午後1時55分、眞之が乗る旗艦「三笠」のマストにZ旗が上がり、
「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」の信号で戦いが始まりました。

 日本海軍は、眞之が心血を注いで考案した「丁字戦法」により、開戦後30分で敵艦の主力を粉砕。
翌28日の海戦とあわせて、バルチック艦隊38隻を撃沈滅。それに対し我が方の損害は水雷艇3隻
沈没のみという、世界海戦史上、空前の大勝利をあげました。
 
 制海権を奪われたロシアは、これを機に講話を決意し、眞之たちの活躍は日本の危機を救ったのです。

△秋山兄弟生誕地に掲揚されたZ旗 △眞之胸像の向こ翻るZ旗

5月27日(木)好古の石碑が新潟日報に大きく掲載

 先にお伝えした新潟にある秋山好古揮毫の忠魂碑に関する記事が大きく掲載されていましたので
ご覧ください。

資料提供:仙波満夫(研究員)            

5月27日(木)日本海海戦の目に見えない主役「三六式無線電信機」

 秋山眞之は、日本海海戦で勝利したあと、「三六式無線電信機」の開発者・木村駿吉博士を訪ね、
「このたびの勝利は、あなたが開発された無線電信機が活躍したお陰です」と礼をいいました。
また、感謝の気持ちを伝える手紙も書いていて、今も大切に保存されています。

 当時の日本海軍は、早くから無線機の有用性に着目し、高価な外国製を廃して日本独自の無線機
を明治36年に完成させ(三六式無線電信機と命名)、全艦隊や陸上の見張り所にまで設置していました。
ロシア艦隊が、指揮官を中心に僅かしか無線機を利用していなかったのに比べ、日本海軍は、情報戦でも
勝利していたのです。秋山眞之はじめ、日本海軍の頭脳の勝利ともいえましょう。

△記念艦「三笠」に展示されている「三六式無線電信機」=撮影・仙波満夫(研究員)


5月24日(月)正岡律の生誕140年祭

 松山市・田中安子さんが主宰する 「一身独立の会」が、
秋山兄弟生誕地内武道場で、正岡子規の妹・律の生誕140年記念会を開催しました。
 会場には、律の生涯を偲ぶ展示品が並べられたり、松山に古くからある「紙人形」も作るなど、
女性グループらしい和やかな雰囲気が溢れていました。
田中さんは「眞之の生まれた場所で、律の生誕祭ができ、律も喜んでいるでしょう」と語りました。


5月20日(木)秋山兄弟銅像の制作地から55名様

 富山県高岡市から、55名様の団体が見えました。
高岡市は、古くから鋳造技術工業が発達し、日本にある銅像の多くが制作され、
市内のいたるところに銅像が建立されています。
 秋山兄弟の銅像も、高岡市梶原製作所で作られ、テレビ、新聞、雑誌で全国に
紹介されています。
 そのことをお話すると「そうですか。ご利用ありがとうございます」と嬉しいご様子でした。

当日は、団体客が多く、ご説明役の秋山兄弟生誕地研究員も大忙しでした。


5月20日(木)海兵77期の方が眞之と記念撮影

 島根県大田市から秋山兄弟生誕地を訪ねて来られた
「吹譯 碩」さん(写真右)は、海軍兵学校77期。
 先輩の眞之の銅像の前で、海軍旗を持って写真を撮られ感激の面持ちでした。


5月4日(火)新潟のお客様と好古の石碑

 新潟から30人のお客様を迎えました。
新潟市に、好古の石碑があることを伝えると「え!ほんとですか」。
 そこで、「秋山兄弟生誕地研究員」で「秋山好古石碑調査員」の仙波満夫さんが
お客様に説明しました。

 「石碑の場所は、新潟市内の日枝神社(沢海2丁目15-30)の境内にあります。
有名な観光地・北方文化博物館の近くです。
 日露戦争で沢海(そうみ)から出征し戦死した3人の霊を弔うために忠魂碑を建て、
当時の第13師団(新潟県高田)の師団長だった秋山好古中将(大正2年1月15日、
55歳で師団長に就任)に揮毫を依頼したのです。
 好古に揮毫を依頼した神田又一横越村村長(当時)の孫で、横越コミュニティ文化協議会
会長の神田勝朗さんをお訪ねしたところ、丁寧な解説をしていただきました。
 それによると、忠魂碑は大正2年7月に建立され、それ以後毎年、盛大に慰霊祭が行なわれるそうです。」

仙波研究員は、さらに、
「好古の石碑は現在47箇所ありますが、この石碑は、日本海側では唯一でしょう。
しかも、石碑を建てた由来がはっきりしている貴重なものです。
皆さんも石碑の前で、往時を偲のばれては」と語っていました。

△秋山好古揮毫の忠魂碑(新潟市日枝神社内)の前で、
横越コミュニティ文化協議会会長・神田勝朗氏(左)と 仙波満夫秋山兄弟生誕地研究員


5月3日(月)名古屋市から「好古に会いたくて!」

 名古屋市から印藤寿浩(いんどう・としひろ)様ご夫妻が見え、感想を語っていただきました。
 「小説{坂の上の雲}を読んで、日本を救う大活躍をした秋山兄弟の生まれた場所にぜひ来たかった。
 とくに、兄・好古が名古屋で小学校の先生をしていたと聞いて親近感を持ち、会いたかった。
やっとたどり着いた生誕地で、好古の騎馬像をみて、ぐっと胸にきました。
NHKドラマの好古役を演じる阿部寛さんも、すばらしい。」
                                                (取材・渡部康男)


5月2日(日)ご来館者数585人。新記録達成!
        ありがとうございました。

 朝から続々とお客様をお迎えし、ついに平成22年1月2日の489人を抜いて、
585人という1日ご入館者数の新記録となりました。

内訳は、 大人個人客 506人
団  体 32人
高校生以下 47人
合  計  585人

 秋山兄弟生誕地は、敷地面積830㎡(250坪)ほどの狭い空間です。
しかし、他の観光地と違って、秋山兄弟の生涯と生きざまをお伝えするという
使命感が、生家、銅像、武道場、展示物、そして生け花にまで溢れています。
研究員(ボランティアガイド)も一生懸命にご説明しています。

 開場は平成17年1月19日。
5年間は、喜んだり、悲しんだりの連続で、
「せめて、1日35人のお客様が来ていただいたら」と語りあった苦しいときもありました。
 でも、頑張っていれば、よいこともあるのですね。

 NHKドラマの影響が大きいのですが、それよりも、秋山兄弟の生誕地で、なにかを
感じたい、という方が圧倒的に多いのが心強いです。
 ご来客のお父さんが子供さんに熱心に説明しておられる姿をみたり、一人でじっと
何ごとかを考えておられるサラリーマン風の方や、団体客の中から熱心なご質問を受け
たり、備えつけのノートに熱い書き込みがあったりすると、感動します。
 
 私達は、初心を忘れず、さらに努力いたしますので、今後ともご指導ご支援を
よろしくお願いいたします。                  (秋山兄弟生誕地運営委員一同)


5月2日(日)大勢のお客様をお迎えしました。

 好天気に恵まれ、ゴールデンウィーク中も、各地から大勢のお客様が来られました。
この数日間は、毎日200人から300人の入館者があり、渡部康男事務局長によると、
今日は開館1時間で100人を越す方が入場されました。

△開門早々に入場券を求める行列ができました。 △説明役の研究員も嬉しい悲鳴です。
△生家内のビデオも満席です。 △生家の北庭も興味深く見ていただきました。

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